後悔と諦念

後悔とは、あるネガティブな出来事に関して、その出来事へとつながる時系列を遡り、その出来事を歴史から抹消しうる他行為可能性の存在を見出そうとする心的営みである(あの時にああしておけばよかったのに)。

反対に、諦念とは、あるネガティブな出来事に関して、その出来事へとつながる時系列を遡り、その出来事を歴史から抹消しうる他行為可能性の不在を納得しようとする心的営みである(あの時にはああするしかなかったんだ)。

後悔は諦念へと変わることで癒される。人はそれを自らの身に生じざるを得なかったもの、すなわち自らの「運命」として受け入れるのである。