Sydney!

村上春樹の「Sydney!①コアラ純情篇」と「②ワラビー熱血篇」を読む。シドニーオリンピックに取材したルポルタージュ


本書の白眉は、何と言っても、アボリジニに出自をもつキャシー・フリーマンの、女子400m走の優勝シーンを捉えた奇跡的な記述である。(以下は村上の文章を受けた私の文章)。


キャシー・フリーマンはラストの直線で驚異的な爆発力を見せ、まるで翼を得たかのように軽やかに、トップでゴールを切った。しかし、圧倒的な力を見せつけた優勝の直後、彼女は突然の自失に囚われる。会場からは音が引き、彼女は空白のなかに否応なく沈降してしまう。表情は硬くこわばり、まるで自責の念に駆られているかのようにも見える(優勝したのにもかかわらず、である)。


永遠にも感じられる空白の後、彼女はゆっくりと歩み出す。彼女のなかに何かが戻ってくる。だがその何かは、彼女が疾走する前にそれであったところのものではもはやない。彼女の顔に笑顔が浮かびだす。ゆっくりとゆっくりと、きつく縛られていた心はほどけるようにして溶けだし、そして自らの外へと解き放たれてゆく。


それは、彼女がいかにして自らの脚で、そのストライドで、自らにまといつく運命の暗き衣を振り払ったのかを証言する、光に満ちた類稀なる瞬間である。多分、「勝利」ということの最も深い意味が、この一瞬のドラマのなかには凝集されている。


この箇所を読み終えた後、思わずYouTubeでキャシー・フリーマンのレースを検索してしまった。けれども、映像からは失われてしまっているものが多すぎて(あるいは実物と映像とを比べるのがそもそも間違いかもしれないが)、村上の記述するような場面の残滓のようなものしか嗅ぎとることはできない。



シドニー! コアラ純情篇 (文春文庫)

シドニー! コアラ純情篇 (文春文庫)

シドニー! ワラビー熱血篇 (文春文庫)

シドニー! ワラビー熱血篇 (文春文庫)